In Out In

主にAndroidの技術のはなし

いつも心がけていること

  • 高みに行かないと見えない景色がある‬

  • 見てない同士で盛り上がる界隈はある‬

  • ふと後ろを見たら高いとこまで来ている時がある‬

  • 嫉妬や批評されているうちはまだ甘い‬

  • 比較にならないくらい突き抜ければ尊敬に変わる ‬

  • 現実を見てもあくまで謙虚に誠実に‬

  • いつでも戦うべきは自分とだけ‬

  • お金は結果についてくる‬

モンサンミッシェルに価値観を変えてもらおう

ゼネストのせいでパリは満足いくように回れずに今日はモンサンミッシェル

8日目

理想は高く。努力は着実に。

「大きく考え、小さく始めよ」 という言葉をどっかの本で見かけて以来、自分の座右の銘となっている。 ただこれ、頭では分っているがいざ振り返ってみると大きく考えてはいるものの、大きく始めていることがほとんどである。まずは本を大量に買ってみたり。道具を揃えてみたり。短期間で集めた情報をうまいこと整理して形にしてみたり。こういうのは全て小さく始めるということではない。頭では分っていてもこのクセはどうも治らない。結局中盤に差し掛かるころには、色んなことを経験していて、ある程度の壁も2つか3つ越えて、やっと実現に近づいてきたと安心できる瞬間がある。 基本的に物事にはお金をかけて手に入るものと、時間をかけて手に入るものに価値があると思っていて、そのどちらも中途半端なもの、コスパの良いもの、またはそこに需要が確実にありかつ便利なものというのは誰しも手に入れられる難易度は変わらないように出来ている。 そしてこの難易度は時を経つごとに技術革新やその業界における先駆者によってどんどんと道が切り開かれ、知見が共有され、大衆化していく。昔は大変だったんだよ〜というのも今は普通になっているものは多くあるはずだ。難病が簡単に治ったり、スマホでいつ誰とでもコミュニケーションできたり、飛行機ができて移動が楽になったり。 人間が到達可能な、管理可能な領域を地球が最大値であると定めたときに、その中で生まれるものやリソースは有限であって、我々はどんどんと地球を使いこなしてきているのだ(この最大値が宇宙に変わる可能性については言及しない)。 いつの時代も戦争というのはこの限られたリソースのスコープが狭かった。そしてどれくらいリソースが最大としてあるかがハッキリしなかったので、みんながみんな「あればあるだけ欲しい!そうすればおれらが豊かになれる!」という欲求が根底にあったのだろうが今はどうだろうか。英語が話せれば誰とでも会話ができ、行こうと思えば飛行機で地球の裏側へだっていけて。一個人ができることが圧倒的に増えていると思うわけだ。 そうなってくると領土の奪い合いという考え方はもはや古いのではないか。国際的な連合の結成、通貨の統一、自動翻訳やAIといった技術の進歩と共有。こういった一つの国に依存しない共通化という体制が出来つつある昨今、これから起きる戦争というのはおそらくその共通化に賛同しない権力の抑止。はぐれものを潰す戦いである。ただこれは果たして現実どう起きていくのかはわからない。もしかしたら起きないかもしれない。はぐれものが勝てる可能性は0であるから。となったとき、その行為に多様性を軽んじる思想はないのか、という意見が出てくるかもしれない。ただこれも、地球が最大リソースであると考えたとき、本来は分割されていること自体がおかしいのである。分散した文明が交わり、拒否反応を引き起こしながら国境を作り、その国境がどんどんなくなり、最終的に地球として一つになる。これが最大リソースなのだ。肌の色や言語の違い、文化による違いは海外旅行やIT化によってどんどんと理解が浸透している。歴史の終着点として地球が一つになるのはとても綺麗だし今回海外を旅行してみて、そのことにより現実味を感じた。

めちゃめちゃ脱線してしまったが、座右の銘の話に戻そう。 小さく始めるというのは、この時代の流れで「普通」がどんどん変化していく中で始めるべき中身が変わってくる。今を知り、そこから始められる小さことを探すのにも多少の努力がいる。なぜなら今がなぜ今になっているかを知っておくことは重要なことだからだ。もちろん最初から知っている必要はない。小さく始めてみて、これはもうすでに大衆化されているな、と気付くことにも価値がある。価値があるものは価値があるものからしか生まれない。 もしかしたら、何かを目指して始めるということには、最終的なゴールがあるのかもしれない。パリの道路が全て凱旋門に通じているように。全ての道がローマに続いているように。あらゆることには全て共通のゴールがあり、我々はその誰もわからないゴールを目指し続けて進歩している。 死んだらどうなるんだろうと考える夜がある。おそらく自分もそのゴールに向けて走ったことが誰かの助けになり、タスキをその誰かに繋ぐのだ。自分が生きたのは間違いではなかった。そう思えるのは精一杯頑張ってきたものをタスキとして間違いなくたくせたとき。子どもを生むのもそう、仕事で誰かを育てるのもそう、誰かの不満や不安を取り除くことができたときもそう。みんなが色々なところで支え合って生きている。そうやって人類全体でも大きく考えて、小さく進んでいるのだろう。 何のために生きているのかわからない、なぜ仕事しているのかわからない。こういう悩みを持っている人は少しこういうことを考えながら旅をしてみることをおすすめする。

ゼネストに突っ込む日

ヴェネツィアマルコポーロ空港から最終の地パリを目指す

7日目

熱々のクロワッサンが出迎えてくれた。 食べ終えてホテルの部屋に戻ろうとすると雨で満潮になったせいかエントランスまで浸水していてさすが水の都となった。 チェックアウトのために持っていたビニール袋と作業員の人がくれた大ビニール袋を足に巻いて駅を向かった。もう一人途方に暮れていアメリカ人にも袋をあげた。ご飯を食べ終えた中国人とかもそれいいね!的なリアクションをくれて国際コミュニケーションを楽しんだあと、空港行きのバスに乗り込む。 マルコポーロ空港も搭乗手続きは変わらなかったが搭乗口の入り口を間違えてだいぶ焦った。案の定パリ行きが遅延していたので少し余裕があったので助かった。 パリの地球の歩き方を見ているとスリが多い、電車の乗り方が大変そうだなと思った。モンサンミッシェルも行けるのだろうか、まだまだ不確定要素が多いが、まあ行ってみたらなんとかなるやろ精神がついて結構余裕になってきた。カタコトの英語でも通用することがわかり、やはり机上を飛び出してまずは経験してみると自分の向かうべきところがはっきりしてくる。帰国したらとりあえず英語の座学をするのはやめようと思う。バイリンガルニュースを聞いてBBTの英会話を楽しむ。洋楽や洋画を楽しむ。それでいいことがわかった。自分に必要なのは聞くことができること、その先に今よりも話せるようになればいいね、くらいの需要しかなかったのだ。それが気づけただけでもこれからの時間を有効に使えるようになったので価値があっただろう。 誠実でかっこいい大人になろう。 セーターとメガネと愛読書が似合う老人になろう あと海外は行けて8日がちょうど良い。日本食が恋しくてたまらないのと着替えがキャリーバッグに上限がそれくらいだ。 飛行機があるおかげで旅行というものはだいぶ楽になったのだなと感じる。もう昔のようなハードルの高いものではない。文明ありがたやといった感じだ。 海外を旅してみて、今度ITで変わっていく可能性があるのは、 移動と言語とキャッシュレスだと思う。 移動はまさしく時間が短縮される。もしくは自動運転によるほぼほぼ寝てれば着くというどこでもドア形式。 言語は自動翻訳。国ごとの詳細仕様を吸収するロジック層が発明されれば共通言語を作らなくて済む。通貨も同じ流れで、これはクレジットカードとFelicaスマホの普及でだいぶ便利になったが、移動と組み合わせた時の決済や為替レート周りはもっと変わっていくと思う。これは仮想通貨や暗号通貨の台頭が目立ってきて一気に現実味を帯びてきている。これらはおそらくあと5年もすれば実用化がさらに進んでいるだろうからもっと海外旅行が楽で簡単になるだろう。 こういう国境の濃さを減らす技術は同時に国ごとの経済格差を減らすことにも繋がるので戦争などの問題も減ると思う。人類皆兄弟という考え方もあり得るのかなと思えてきた。 パリの飛行機が遅延していて郊内に着く頃にはもう夕方だろう。夜景を楽しむのとルーブル美術館だけでも訪れなければ。時間との戦いになってきた。

ムラーノとブラーノの兄弟感たるや

ヴェネツィアと離島を巡る

6日目

1日券を持っているもののなぜか認証機が応答せずにあたふたする。認証せずに乗っているのがバレると罰金を食らうらしいが、大丈夫なのかな。。。 不安になりながらも駅で作業をしていた人は乗れ乗れ!みたいなカジュアルなノリで接してくれて優しい。 ムラーノ島の改札も工事中だったので無理でブラーノ島でやっとチケットの認証を行えた。11時くらいから有効期限がスタートしたからパリへの移動日の朝も使えてラッキーという感じだった。このホテルで食べたクロワッサンが超絶美味だった。ホットケーキとかもあって朝食で1日分の食事を取れるくらいにはお腹を満たせた。ブラーノ島はとてもいいところだった。何がいいってまず人が少ない。そして景色が最高。まるで芸術家の持つパレットが街に溢れたかのようにカラフルな色に包まれていた。家の壁だけでなく、花瓶や干している服までもがコントラストの手伝いをしていてとても見応えがあったと思う。今日は少し早く上がってお土産を買う時間にしようと思う。 海外に行きたいと思ったかどうか これは旅行して感じることで、いつかは海外で仕事してみたい、そういうのには憧れていたのでどう感じたかを考えてみた。結論から言うとやはり日本がいい。田舎の風景は日本に勝るものはないし、トイレやお風呂の設備、ご飯のクオリティ、水も含めて衛生面で日本に勝てるところはないだろう。そういえばイタリアには至る所にcoopがあってとてもしっかりしたスーパーになっている。あれがあるだけで生活のしやすさがだいぶ違うだろう。トルチェッタ島というところにも寄った。ブラーノ島から1kmもないところにある島だ。小さい島ながら、自然が豊かで道も一方通行しかない。霧がかかったような天気だったのでなんだか進歩的な雰囲気を放っていた。人も居ないので鳥の泣き声しか聞こえてこない。また泣いてるのはカラスだろうか、すごく不気味な印象を抱く島だった。この島はヴェネツィアの中では最古の歴史を持つ。石でできた玉座があったのでそこにも座った。それ以外は本当に何もない島。沖縄の黒島とすごく雰囲気が近かった。まあ黒島には牛がいたしこちらに軍配をあげておこう。 1日時間をかけて地図も見ずに回っていると案外地形が理解できてきてとてもいい。その分気づいたら万歩計が大変なことになっているのだが、フィレンツェヴェネツィアくらいの小さな都市であれば歩きで十分だろう。最後に行くパリの移動手段に迷うところではある。 こうやって1人で旅をしていると、とても素敵な景色や体験に出会った時、どう記録として残すかを考える。今はSNSがあり、高機能なスマホがあるので迷わず普通の人であればそこにシェアする。でも自分はなんだかそれに気が引けてあまり出来なかった。こいつ海外旅行してるから気分が上がってるな、みたいな受け取り方をされる気がしたからだ。もちろんインスタのストーリーに上げるとポジティブな反応をくれる人しかいないが、自分的にも何か引っかかるものがあるのだ。おそらくそれはみんなが出来ることではない。金銭的にも文化的にも海外に行ける人が全員ではない。もちろんそこには根性論も当然あるが、羨ましいとか嫉妬を生む体験に変わりないのである。そう、自分が今繋がっているSNSはそういった少し背伸びした体験をした者に寛容ではない繋がりなのだと感じた。nanaの界隈、熊本の界隈。反対に仕事の界隈は海外に行くことは当然で、体験として素晴らしいものであるという認知が既にある。そう、自分が海外旅行をしたくらいですごい!と一躍時の人となるようなコミュニティはないのだ。自分も海外旅行しているという優越感はあるし、少しチヤホヤされたいという願望がないわけではない。このモヤモヤをうまく発散できないから仕方なく家族に報告をするスタイルをとっているわけだが、SNSがなかった昔の人はどうだったのだろうとふと考えた。今でこそオープン化したコミュニティがない頃はカメラに収めたもの、体験してきたことというのは口伝いで話す話題に過ぎなかったのだろうか。自分の半径5m程度の人間に伝わればそれで良かったのだろう。そこに楽しさを見出していたに違いない。それはそれで狭く濃くという今となっては自分にとって羨ましい関係性を簡単に気づけていたのかもしれない。 凄いと思われたい、自慢したいという願望は必ず逆の立場がいて、それらは妬みや嫉みに繋がる。そこに嫉妬を抱くのは徳が低いと揶揄するツイートも見たことはあるが、SNS文化がそうさせているのだから現代人にそれを言うのはかわいそうだ。 だからこそ良い解決策は当然だと思う。ということだと思う。常に自分の価値観を高める体験、行動をしているというだけで、自分がそれに納得できていればいいのだ。そこで出会った半径5mの人間にだけその価値が自然と伝わればいい。そうだ、思い返してみれば自分が尊敬する同業種の人間もそのような人だった。決して自分から凄いというアクションを出すことはなく、周りがその価値を認め出す。いつでも凄いのはあらゆるものを生み出すことができる人、行動して結果を出せる人なのだ。自分は今回の旅行を通じて海外旅行を普段からするような人間になった。それは別に世間で見ればそういう人はどこにでもいる。今飛行機に乗っている他の乗客でさえ一緒のレッテルなのだ。そうやって自分を高めた先にだけ真の価値があり、真のつながりがあり、真に尊敬される存在となるのだと思う。とはいえもうやりたいことが少なくなってきたからそろそろ自分も研磨のフェーズに入っていく頃かなと思う。

水の都にもウンコはあります

フィレンツェからヴェネツィアへ どっちも難しいカタカナを使う。

5日目

フィレンツェのホテルでゆったりしてたらマスターキーもったおじちゃんが部屋に入ってきて焦った。めちゃめちゃ鍵開けるのに手間取っててわかります、おれも初日そうでしたよ、と心の中で共感した。目があったときは普通にびっくりしたけど。 そのままなんか気まずくなり早々とチェックアウトを済ませた。宿泊税が8€で10€出したがお釣りが見つからないようでしばらく探していて、こういうときにお釣りはいらないよ、とか言えると生粋のイタリアンなんだろうなと思った。案の定ネイティブイタリアンが代わりに2€出してくれるという最も男前な決着となった。 フィレンツェからヴェネツィアまでは2時間半ほどあった。ローマからフィレンツェは1時間半程度だが距離はこちらのほうが長い。あべこべだなと思いながら技術書を読んでいた。 ヴェネツィアに着いて外に出るとすぐに他の街との違いを感じさせる。それは磯の香り、車ではなく船が移動手段であることだ。人の雰囲気は変わらないが日本人は減った気がしてやっと異国感が出てきたところだ。人気のあるところには雑貨屋やピザ屋ばかり。どこもかしこもお店ばかりだ。路上を一つ曲がると生活感のある家や帰路に立つ地元民の顔が見えて来る。また仕事中の作業着を着た人々とも顔を合わせることができる。また、とても静かだ。 いくつもの島で成り立っているこのヴェネツィアは橋をかけて繋がっている。狭い路地を抜けると橋がかかっていたり、大きい路地でも行き止まりだったりする。一見行き止まりに見えるが狭い曲がり角だったりして迷路を進んでいるかのように感じさせるちょっと不思議な構造をしているなぁと感じた。ふと後ろを振り返ったときや橋から横を見た時の景色が綺麗すぎてため息と感嘆の嘆きが同時に出る。吸って吐くを同時にしてしまう。沖縄からさらに奥の石垣島、そしてまた奥の離島の桟橋で見た景色が自分は人生で1番素敵な景色だと思っていたが、それに勝るとも劣らない感動を受けた。少し残念なのは、犬を飼っている家庭が多いのか、うんこが放置され、犬の生活臭が結構鼻に押し寄せてくる。まあそれ以外は完璧。 これは確かにまた来たいと思わせてくれるのも納得だった。 イタリアの三都市を巡ってきたがヴェネツィアは間違いなく1番おすすめだと思う。 ここまで毎日歩いて観光してきたせいで毎日2万歩以上歩いていて足がボロボロである。 まあ明日の離島巡りも歩くことになるんだけど。

1日の長さはおれが決める

フィレンツェを少しと、知り合った女性に勧められてピサの斜塔を目指す

4日目

夜20時には超絶眠くなり、朝4時半には目が覚める。 というのも日本時間にすると8時間進んでいるので夜中に寝て昼頃起きていることになる。お腹が空くのも地味にバラバラ。これをイタリアの時間に調節しようとすればするほど日本に帰ってから辛くなるのだろう。これが時差ボケというやつ。自分は今まで旅行するまでは単純に飛行機に乗っている時間が長いからボケるんだろうと思ってたけどもっと大きい話だったようだ。これは確かにきつい。だから出来るだけ日本時間からずれすぎないようにしている。まあ帰国してからも休みだから良いんだけどね。 朝食はホテルで食べて早々とホテルを後にした。どこもかしこもメニューは一緒だが、サラミとクロワッサンが超絶うまい。あとヨーグルトとフルーツはどこも味が変わらないからありがたい。 昼からはピサに向かおうと思っていたから、朝からフィレンツェの歩いていないところを歩いた。ウフィツィ美術館前やバーバリ庭園のあたり。少し外れを歩くと人も少なくなるしATMも増えてきて物価もそれなりに通常になる。オフィスが見えてくるのも特徴だったり、車の止め方が雑になる。 5€で買える有名なパニーニ屋さんにも寄った。確かに旨し。 とはいえもう歩きすぎて足がボロボロで筋肉痛だ。寝るだけじゃ治らん。スマホの万歩計を見ると毎日2万歩歩いているようでビビる。

初めて自分で切符を買った。刻印も忘れずに行う。 ピサに降り立つと案外治安が悪そうだなと感じた。観光地じゃない分生活が見えておれはわりとこっちの方が好きなのだが、一人で出歩くのはちと危険だろう。 斜塔に着くとまじで傾いていてびっくりした。思ったより傾いてて本当に倒れないの?と不安になるレベル。 ドゥォーモはどこも相変わらず綺麗。こんな都市都市にどうしてこんな大きい物を3つずつも作るんだろう。最初は不思議だったが、回るたびに少しわかってきたことがある。おそらくそれは都市ごとに戦っていた歴史があるということ。このドゥォーモをどれくらい壮大では華厳なものを作れるかでキリストへの信仰の大きさや都市としての力を誇示する狙いがあったのだろう。

イタリアのトイレはどこも有料で汚い。ビーグルをよく目にして最高。ゴミ箱が至るところにあるがゴミは落ちている。ホテルの近くに日本料理屋さんがあったけど今度入ってみよう。(急な感想メモを貼っておく)

ピサの斜塔登ってきた。荷物を預けないといけないことを並んで知って慌てて預けて中に入った。階段を登るときの横への重力を感じであ、本当に傾いてるんやなと実感した。 上からの景色はフィレンツェのドゥォーモと似ていて、ピサも赤煉瓦屋根。少し先に丘が見えてそこまで大きい都市ではないことを感じさせる。とはいえ一つの明かりには人生があり、息がある。車も走っている。たくさんの刹那がそこにはあった。 すれ違い人でたまにものすごく良い匂いがする人がいる。香水がマナーだと言わんばかりの匂いがくる。おれも真似してみようと思う。 今日はわりと時間があって母親と電話したり次のヴェネツィアの日程を考えたりした。こうやって仕事をせずに生きていると1日って長いなぁとか、出来ることたくさんあるなと考えさせられる。丸一日仕事するのももちろん良いが、15分でも良い、時間を区切って新しいことを、新しい景色を、新しい出会いを織り込んでいくと良いのかもしれない。そういう経験は1日を充実したものにしてくれるし、頭に入る情報がずっと多いから長いと感じるのだろうと思う。貯金も大事だが、こうやって時間を見つけては海外に出て見たことのないものを見るのも悪くない。何が悪くないかというと、自分が狭い世界で生きていて、自分とは違う価値観の世界があると思い知らされる。日頃の生活が決して当たり前ではないことを思い出させてくれる。日々への感謝を思い出して、頭の中をスッキリさせて、またやりたいことを新しい世界から見つけていく旅に出よう。

ピサからの帰りの電車でこれを書いているけど、もう夜はなにもする気が起きないくらい疲れているのでもう大したイベントはないだろう。

そういえば案外お腹を壊してない。LEVISSIMAという軟水に助けられている。ありがとうLEVISIMMA。

今まで積み上げてきた自分の価値観と向き合うということ

ローマからフィレンツェへ特急列車2等に乗り込む

3日目

朝は早かったが問題なく起床してめちゃめちゃ寝て3度寝くらいして朝食を食べた。相変わらず美味い。ここは当たりだった。

ふとポエム的になるがそういう1日だったということだ。 今まで高校3年から数えて約7年くらい、海外旅行をするために英語を勉強しようとしてきた。 今回自信のない英語の知識を携えて旅行をしてみて、海外旅行のために英語を勉強するという目標はほぼ達成できていたのではないかと思う。拙い英語でも海外旅行はできることがわかったからだ。今はGoogleLensがテキストを自動翻訳してくれるし、ポケトークという話した言葉を通訳してスピーキングしてくれるハードウェアもある。海外の女性と付き合いたい、とか海外で仕事してみたい、くらいの欲求じゃないとこれ以上英語を勉強する必要がなさそうだなと思った。とはいえ、英語を話せなくても聞き取れるようにはなりたいものだ。洋楽を聞いたり、洋画を字幕なしで見るのは憧れる。ちょっとしたイントネーションを聞き分けることは価値があると思う。 テルミニから乗った電車で見る自然の景色はとても日本と似ている。特に北海道。広大な自然を人間が手を加えることなく堂々をしている。たまにすれ違う建築物の違いを見て初めてここはヨーロッパなのだと思い出す。 フィレンツェのドゥオーモを予約した。完全予約制に変わったそうだ。フィレンツェベネチアは現地ガイドに頼らずに歩くつもりで、というのも予約必須かつ必見なところは少ないのと、歩いて回ることができるくらい街が小さい。ローマでは芸術や歴史を感じて、今からは街を、人を、時間を楽しもうと考えている。

ヨーロッパの人はどうしてこうもカッコいい人が多いのだろう。女性もCoolな人がとても多い。日本のアイドルやぶりっ子といった所謂カワイイ系の女性というのはほとんど見かけない。駅で見るキスもなぜか見惚れてしまうのはすごく絵になるからだ。見てて恥ずかしいキスではないのだ。内側からくる自信がそうさせるのか、今まで経験や若い時に遊んだ経験がそうさせているのか、日本とは明らかに違うものを感じる。髭やメガネ、髪型、服装に至るまでみんなに個性があって気配りがある。男女平等というルネッサンス期から台頭し続けてきた女性の強さをとても感じるし、そっちの方がまあ自分も好きではある。

フィレンツェに着くとあまり景色は変わらなかったが少し歩くと建物の作りが少し違うことに気づく。ローマよりは少し質素で機能性を意識しているというか、景観に寄り添っている感じ。それと駅の近くには必ずマックがあるのはなぜ?笑笑 とりあえずブラブラして見ることにして色々と歩いた。ホテルに着く頃には小指の豆がもうブヨブヨになるくらい。ヴェッキオ橋を通ってミケランジェロ広場まで。結構歩いた。手にも豆が出てきた。行く途中、平日なので小さなオフィスで仕事をしていた。鏡ばりで作業が見えるようなオフィスは日本には少ないが、デザインアトリエのような感じでとても絵になる作業雰囲気だった。見られるかもしれない、というプレッシャーは仕事の効率やデスクの整頓を促す狙いがあるのかもしれないなと思った。 明らかに遠回りしながら広場へ。景色はとても綺麗だったがいかんせん曇っていたので感動は少なかった。全てが綺麗すぎて目が慣れてきてしまったのもあるかもしれない。帰りはさすがにキツすぎたのでバスに乗った。切符はコンビニで買うか車内で買うらしい。しかも車内だと2.5ユーロも取られてかつ不機嫌そうに会計をされる。とてもお互いに良くない作業だ。日本はこの点、Felicaがあるからまじで神だなと思った。刻印もよくわからないシステムだ。90分有効とかよくわからないことをしているから無賃も増えるし罰金管理というよくわからない作業もある。 レックスホテルでチェックインして荷物だけ置いた。冷蔵庫がないのとWi-Fiがゴミ。ただシャワーはめちゃくちゃ出て最高だった。寒かったけど。また、隣が飲食店なのだろう、夜通しチャーハンを炒めるような音が響く地獄のようなホテルだった。フィレンツェはサンタマリア大聖堂あたりに向かうことにした。18€で一通りの観光スポットを回れてクーポラにも登れた。物乞いやお金の請求、ストリートにも遭遇した。この辺は物価が4倍くらいしていてまじで理不尽。1キロ違うところで買えば激安なのに。。。物を買うときは必ずスーパーマケットで買うのがいい。 ローマほど壮大ではないがやはりどこも素晴らしい。全ての建物に歴史があり、人の手が加わっている。100年とかかけて建てたのを考えるともう人知を超えている。 ホテルの近くには韓国や日本、中国向けの店や飲食店があって考えてくれて予約してくれたのかなと思った。ツアー組んでくれた人ありがとう。隣の部屋もたぶん日本人で、おそらくそういうアジアへの差別感というか、異国のものである、という価値観は少なからず根付いているのだろう。お金を取れる、情に熱い、といった見方もあるが、それもいわば差別で、自分たちとは違う、という根本的な思想から成り立っているのは変わらない。中指立てられたりもしたしね。 刺青多い。

あと感じたのはみんな欲求には忠実というか、逆らえないとしている人が多い気がする。 喜び、怒り、悲しみ、慈しみ、哀しみ、それぞれに正直だ。キスもするし楽しそうだし、食欲、睡眠欲、性欲もさらけだしている感じ。 一方で、宗教的に禁欲を謳っているものもあるし、その辺のギャップもむずい。酒を飲む飲まないとか。でも日本人と、自分と大きく違うのはやっぱり欲求や感情を隠していないということ。どちらが良いかと聞かれるとわからないが羨ましいという感情があるのはそういう今の自分に心から納得していないということなんだろう。とはいえ日本的な感情や欲求の解放をするとただのヤリチン、パリピになってしまうが、海外のそれは何か違う。そこには誇りがある。自分はcoolだという誇り。それを持ちながら解放するのは悪くないかな。