In Out In

主にAndroidの技術のはなし

ムラーノとブラーノの兄弟感たるや

ヴェネツィアと離島を巡る

6日目

1日券を持っているもののなぜか認証機が応答せずにあたふたする。認証せずに乗っているのがバレると罰金を食らうらしいが、大丈夫なのかな。。。 不安になりながらも駅で作業をしていた人は乗れ乗れ!みたいなカジュアルなノリで接してくれて優しい。 ムラーノ島の改札も工事中だったので無理でブラーノ島でやっとチケットの認証を行えた。11時くらいから有効期限がスタートしたからパリへの移動日の朝も使えてラッキーという感じだった。このホテルで食べたクロワッサンが超絶美味だった。ホットケーキとかもあって朝食で1日分の食事を取れるくらいにはお腹を満たせた。ブラーノ島はとてもいいところだった。何がいいってまず人が少ない。そして景色が最高。まるで芸術家の持つパレットが街に溢れたかのようにカラフルな色に包まれていた。家の壁だけでなく、花瓶や干している服までもがコントラストの手伝いをしていてとても見応えがあったと思う。今日は少し早く上がってお土産を買う時間にしようと思う。 海外に行きたいと思ったかどうか これは旅行して感じることで、いつかは海外で仕事してみたい、そういうのには憧れていたのでどう感じたかを考えてみた。結論から言うとやはり日本がいい。田舎の風景は日本に勝るものはないし、トイレやお風呂の設備、ご飯のクオリティ、水も含めて衛生面で日本に勝てるところはないだろう。そういえばイタリアには至る所にcoopがあってとてもしっかりしたスーパーになっている。あれがあるだけで生活のしやすさがだいぶ違うだろう。トルチェッタ島というところにも寄った。ブラーノ島から1kmもないところにある島だ。小さい島ながら、自然が豊かで道も一方通行しかない。霧がかかったような天気だったのでなんだか進歩的な雰囲気を放っていた。人も居ないので鳥の泣き声しか聞こえてこない。また泣いてるのはカラスだろうか、すごく不気味な印象を抱く島だった。この島はヴェネツィアの中では最古の歴史を持つ。石でできた玉座があったのでそこにも座った。それ以外は本当に何もない島。沖縄の黒島とすごく雰囲気が近かった。まあ黒島には牛がいたしこちらに軍配をあげておこう。 1日時間をかけて地図も見ずに回っていると案外地形が理解できてきてとてもいい。その分気づいたら万歩計が大変なことになっているのだが、フィレンツェヴェネツィアくらいの小さな都市であれば歩きで十分だろう。最後に行くパリの移動手段に迷うところではある。 こうやって1人で旅をしていると、とても素敵な景色や体験に出会った時、どう記録として残すかを考える。今はSNSがあり、高機能なスマホがあるので迷わず普通の人であればそこにシェアする。でも自分はなんだかそれに気が引けてあまり出来なかった。こいつ海外旅行してるから気分が上がってるな、みたいな受け取り方をされる気がしたからだ。もちろんインスタのストーリーに上げるとポジティブな反応をくれる人しかいないが、自分的にも何か引っかかるものがあるのだ。おそらくそれはみんなが出来ることではない。金銭的にも文化的にも海外に行ける人が全員ではない。もちろんそこには根性論も当然あるが、羨ましいとか嫉妬を生む体験に変わりないのである。そう、自分が今繋がっているSNSはそういった少し背伸びした体験をした者に寛容ではない繋がりなのだと感じた。nanaの界隈、熊本の界隈。反対に仕事の界隈は海外に行くことは当然で、体験として素晴らしいものであるという認知が既にある。そう、自分が海外旅行をしたくらいですごい!と一躍時の人となるようなコミュニティはないのだ。自分も海外旅行しているという優越感はあるし、少しチヤホヤされたいという願望がないわけではない。このモヤモヤをうまく発散できないから仕方なく家族に報告をするスタイルをとっているわけだが、SNSがなかった昔の人はどうだったのだろうとふと考えた。今でこそオープン化したコミュニティがない頃はカメラに収めたもの、体験してきたことというのは口伝いで話す話題に過ぎなかったのだろうか。自分の半径5m程度の人間に伝わればそれで良かったのだろう。そこに楽しさを見出していたに違いない。それはそれで狭く濃くという今となっては自分にとって羨ましい関係性を簡単に気づけていたのかもしれない。 凄いと思われたい、自慢したいという願望は必ず逆の立場がいて、それらは妬みや嫉みに繋がる。そこに嫉妬を抱くのは徳が低いと揶揄するツイートも見たことはあるが、SNS文化がそうさせているのだから現代人にそれを言うのはかわいそうだ。 だからこそ良い解決策は当然だと思う。ということだと思う。常に自分の価値観を高める体験、行動をしているというだけで、自分がそれに納得できていればいいのだ。そこで出会った半径5mの人間にだけその価値が自然と伝わればいい。そうだ、思い返してみれば自分が尊敬する同業種の人間もそのような人だった。決して自分から凄いというアクションを出すことはなく、周りがその価値を認め出す。いつでも凄いのはあらゆるものを生み出すことができる人、行動して結果を出せる人なのだ。自分は今回の旅行を通じて海外旅行を普段からするような人間になった。それは別に世間で見ればそういう人はどこにでもいる。今飛行機に乗っている他の乗客でさえ一緒のレッテルなのだ。そうやって自分を高めた先にだけ真の価値があり、真のつながりがあり、真に尊敬される存在となるのだと思う。とはいえもうやりたいことが少なくなってきたからそろそろ自分も研磨のフェーズに入っていく頃かなと思う。