In Out In

主にAndroidの技術のはなし

モンサンミッシェルに価値観を変えてもらおう

ゼネストのせいでパリは満足いくように回れずに今日はモンサンミッシェル

8日目

理想は高く。努力は着実に。

「大きく考え、小さく始めよ」 という言葉をどっかの本で見かけて以来、自分の座右の銘となっている。 ただこれ、頭では分っているがいざ振り返ってみると大きく考えてはいるものの、大きく始めていることがほとんどである。まずは本を大量に買ってみたり。道具を揃えてみたり。短期間で集めた情報をうまいこと整理して形にしてみたり。こういうのは全て小さく始めるということではない。頭では分っていてもこのクセはどうも治らない。結局中盤に差し掛かるころには、色んなことを経験していて、ある程度の壁も2つか3つ越えて、やっと実現に近づいてきたと安心できる瞬間がある。 基本的に物事にはお金をかけて手に入るものと、時間をかけて手に入るものに価値があると思っていて、そのどちらも中途半端なもの、コスパの良いもの、またはそこに需要が確実にありかつ便利なものというのは誰しも手に入れられる難易度は変わらないように出来ている。 そしてこの難易度は時を経つごとに技術革新やその業界における先駆者によってどんどんと道が切り開かれ、知見が共有され、大衆化していく。昔は大変だったんだよ〜というのも今は普通になっているものは多くあるはずだ。難病が簡単に治ったり、スマホでいつ誰とでもコミュニケーションできたり、飛行機ができて移動が楽になったり。 人間が到達可能な、管理可能な領域を地球が最大値であると定めたときに、その中で生まれるものやリソースは有限であって、我々はどんどんと地球を使いこなしてきているのだ(この最大値が宇宙に変わる可能性については言及しない)。 いつの時代も戦争というのはこの限られたリソースのスコープが狭かった。そしてどれくらいリソースが最大としてあるかがハッキリしなかったので、みんながみんな「あればあるだけ欲しい!そうすればおれらが豊かになれる!」という欲求が根底にあったのだろうが今はどうだろうか。英語が話せれば誰とでも会話ができ、行こうと思えば飛行機で地球の裏側へだっていけて。一個人ができることが圧倒的に増えていると思うわけだ。 そうなってくると領土の奪い合いという考え方はもはや古いのではないか。国際的な連合の結成、通貨の統一、自動翻訳やAIといった技術の進歩と共有。こういった一つの国に依存しない共通化という体制が出来つつある昨今、これから起きる戦争というのはおそらくその共通化に賛同しない権力の抑止。はぐれものを潰す戦いである。ただこれは果たして現実どう起きていくのかはわからない。もしかしたら起きないかもしれない。はぐれものが勝てる可能性は0であるから。となったとき、その行為に多様性を軽んじる思想はないのか、という意見が出てくるかもしれない。ただこれも、地球が最大リソースであると考えたとき、本来は分割されていること自体がおかしいのである。分散した文明が交わり、拒否反応を引き起こしながら国境を作り、その国境がどんどんなくなり、最終的に地球として一つになる。これが最大リソースなのだ。肌の色や言語の違い、文化による違いは海外旅行やIT化によってどんどんと理解が浸透している。歴史の終着点として地球が一つになるのはとても綺麗だし今回海外を旅行してみて、そのことにより現実味を感じた。

めちゃめちゃ脱線してしまったが、座右の銘の話に戻そう。 小さく始めるというのは、この時代の流れで「普通」がどんどん変化していく中で始めるべき中身が変わってくる。今を知り、そこから始められる小さことを探すのにも多少の努力がいる。なぜなら今がなぜ今になっているかを知っておくことは重要なことだからだ。もちろん最初から知っている必要はない。小さく始めてみて、これはもうすでに大衆化されているな、と気付くことにも価値がある。価値があるものは価値があるものからしか生まれない。 もしかしたら、何かを目指して始めるということには、最終的なゴールがあるのかもしれない。パリの道路が全て凱旋門に通じているように。全ての道がローマに続いているように。あらゆることには全て共通のゴールがあり、我々はその誰もわからないゴールを目指し続けて進歩している。 死んだらどうなるんだろうと考える夜がある。おそらく自分もそのゴールに向けて走ったことが誰かの助けになり、タスキをその誰かに繋ぐのだ。自分が生きたのは間違いではなかった。そう思えるのは精一杯頑張ってきたものをタスキとして間違いなくたくせたとき。子どもを生むのもそう、仕事で誰かを育てるのもそう、誰かの不満や不安を取り除くことができたときもそう。みんなが色々なところで支え合って生きている。そうやって人類全体でも大きく考えて、小さく進んでいるのだろう。 何のために生きているのかわからない、なぜ仕事しているのかわからない。こういう悩みを持っている人は少しこういうことを考えながら旅をしてみることをおすすめする。